手作業による荷物取扱い (manual materials handling)
手作業による荷物取扱い (MMH) の主なものは、荷物の持ち上げ・持ち下げ (lifting/lowering)、運搬 (carrying)、押し引き (pushing/pulling) である。
以下に、それぞれの作業による腰痛リスクの評価や作業設計・作業改善に利用される主要なツールを簡単に紹介する。
【1】荷物の持ち上げ・持ち下げ:手での荷物の持ち上げや積み下ろしの繰り返しの作業を評価をする。おおむね1m以上の運搬を伴う作業の評価には【2】の手法を使う。全身の動きが少なくかつ主に腕のみを動かして行う作業(特に取り扱い物が数kgと軽い場合)なら、上肢反復作業の評価法を利用するのがよい。
- NIOSH Lifting Equation (NLE)とISO 11228-1のLifting(ソフト:MHN: NIOSH Lifting Equation (NLE)とISO 11228-1による荷物持ち上げ評価):荷物持ち上げの評価ツールのなかで最も利用されているのがNIOSHの荷物持ち上げ式、通称NLE(あるいはRNLE)である。ISOの持ち上げ式はNLEの拡張版で、考慮する作業要因を増やして適用範囲を広げている。
- Liberty MutualのMMHのLift(ソフト:MHL: Liberty Mutual の式による荷物取り扱い許容限界計算ソフト):心理物理量に基づいて数多くの実測実験に基づいて作られた評価法であるSnook & Ciriello Tables(スヌークテーブル)を数式化した手法。スヌークテーブルは、1のNLEや4のMACも参照している実績ある手法。
- ACGIHのLifting(ソフト:AET:ACGIHの持ち上げと上肢作業のTLV計算):1のNLEを単純化し、より簡便に利用できるようにした手法。
- HSEのMACのLifting(ソフト:HET: HSEの作業評価ツール(MAC/RAPP/ART)対応ソフト):上記の1~3の手法が直接的に作業に関与する要因のみを評価しているのに対し、作業場所の環境要因まで含めて広く簡便に評価できるように作られた手法。
【2】荷物の運搬:荷物を手で持って歩いて運ぶ作業を評価する。
- Liberty MutualのMMHのCarry(ソフト:MHL: Liberty Mutual の式による荷物取り扱い許容限界計算ソフト):実績豊富なSnook & Ciriello Tablesの運搬を数式化した方法。
- ISO 11228-1のCarry(ソフト:MHC: ISO 11228-1による荷物運搬の許容限界計算ソフト):【1】の1のISOの持ち上げ式とセットで使う手法。
- HSEのMACのCarrry(ソフト:HET: HSEの作業評価ツール(MAC/RAPP/ART)対応ソフト):床面や通路の状況など運搬での作業環境の要因も含めて広く評価できる手法。2人での運搬の評価にも対応。
【3】押し引き:台車に荷物を載せて押し引きして運ぶ作業や、床を引きずったり転がしたりして荷物を運ぶ作業を評価する。
- Liberty MutualのMMHのPush/Pull(ソフト:MHL: Liberty Mutual の式による荷物取り扱い許容限界計算ソフト):実績豊富なSnook & Ciriello Tablesの押し引きを数式化した方法。
- HSEのRAPP(ソフト:HET: HSEの作業評価ツール(MAC/RAPP/ART)対応ソフト):押し引きの操作力ではなく、台車や荷物の種類と質量および運び方により評価する方法。これも、床面や通路など作業環境の要因も含めて広く評価できる。
(おすすめ)
- 実績重視なら、持ち上げはNLEかISO(MHN)、運搬と押し引きはLiberty Mutual のMMH(MHL)になる。多くの変数が連続量なので、設計や改善には利用しやすい。
- 産業保健関係者には、HSEのMACやRAPP (HET)が向いているでしょう。変数がカテゴリで言葉で説明されているので入力しやすく、かつ、作業環境の要因まで広くカバーされているためである。
- 持ち上げのNLEとISOとの使い分けは、評価目的により決める。NLEは男女まとめての評価しかできないが、ISOは男性あるいは女性のいずれかが多い職場に配慮することができる。これを利用すると、日本の腰痛予防対策指針に近い評価ができる。片手作業や2人以上での作業はISOでしか評価できない。
- 運搬については、利用実績からするとLiberty Mutual のMMH(MHL)一択だが、ISOの持ち上げとの一貫性を重視するなら、ISOのCarry(MHC)を選ぶのもよいだろう。
- Liberty Mutual のMMH(MHL)は、作業頻度が低い条件では国内の腰痛予防対策指針の値を超える荷物質量が容認される結果が出やすく、注意が必要である。低頻度の場合でも、荷物質量の上限は15~25 kgにとどめるのがよい。
- 運搬と押し引きは、離れた2つの場所の間を移動するので、移動途中の場の影響を受けやすい。そのためHSEのMACの運搬やRAPPでは、床面(凹凸の有無など)、障害物(途中のドアの有無や取り回しスペースの有無など)、物理環境(暑さ、寒さ、照明など)がチェックされるようになっているが、これらの評価はどうしても主観的になりやすい。これに対してLiberty MutualのMMHの運搬・押し引きやISOの運搬は、移動途中の作業環境は良好との前提で、運搬や押し引きの作業自体の客観的で定量化しやすい項目に絞って評価している。両者の特徴を踏まえて使い分けること。
(補足説明)
1)押し引き力とスリップ等への配慮
水平に押し引きする力が高いと、スリップや転倒の危険がある。スリップに関しては、NLEでは地面との摩擦係数は0.4以上とすることが求められている。JIS A1454ではCSR (Coefficient of Slip Resistance) が0.4以上なら滑りにくく、バリアフリー法のガイドラインでも敷地内の通路等はCSRで0.4以上が推奨されている。作業現場の床面は微細な粉塵や砂があったり水で濡れていたりするので、これよりさらに滑りやすい場所も多いと思われる。スリップが生じるか否かは単純に摩擦係数だけで決まるわけではないが、少なくとも摩擦係数に応じた摩擦力(摩擦係数×垂直抗力)は越えないほうが良いだろう。人が物を押し引きする場合、垂直抗力を人の体重とみなして女性の平均体重を50kg程度とすると、スリップ防止の観点からは押し引き力は0.4×50=20kgとなる。これを超えないほうが良さそうである。
また、ここでの押し引き力の限界値は台車等の押し引きを前提にした値である。その場合、前や後ろに転倒しないよう、足の踏み出し等に配慮した姿勢をとったうえで体重をかけて押し引きをする。しかし部屋の入口のドアなどの押し引きでは、さほど身構えずに操作する場合が多い。そのため5 kgf以下の押し引き力にしないと転倒のリスクが高くなる。車いす作業者を想定するなら、さらに低い押し引き力にする。